(「言えなかった競馬の本」第5章、馬の表と裏を知るとっておきのネタ<馬編>から抜粋)
“血は水よりも濃い”と血統の重要性をいっておきながら“トビがタカを産む”と、突然変異的に、二流から一流が輩出することもいったりする。つまり用いる人間に合わせて二通り用意されているのが格言なのだ。人間の知恵とはまことに調子いい。
格言が言いあらわすように、どんな世界にだって裏表二通りの見方はあるものだ。たとえば競馬ファンの中には「俺は血統至上主義だ」と成績など無頓着に、血統に目を血走らせるファンも少なくない。
たとえば短距離競争を狙ったとする。その馬の血統を調べ「父、母馬が短距離系」とわかれば納得したように「よし、これでいけ」となる。こうした勝馬推理も、競馬を楽しむ一つの方法にはちがいない。「競馬はかくあるべきだ」という改まったものは必要ないのであって、各人各様の流儀があっていいと思う。
しかし、“血のスポーツ”競馬だけに、血統云々はうるさすぎるほどうるさい。
「この馬は消しだよ。父が短距離系だもんね」という人。こういう人は“血は水より濃い”派の人。「でも、前々回の2400メートルのレースで2着に来ているぜ。3000メートルくらいわけないよ。以外と万能タイプかも知れないし…」 この人は、“トビがタカを産む”派だ。
ただ、血統の過信はぼくに言わせれば冒険である。血統や近親馬の成績を軸に勝ち馬を決めるのは実はナンセンスといわなければならない。
理由はこうだ。日本では血統の考え方が外国とはまるで違う。外国では短距離馬を作ろうとする時は、ひたすら短距離系同士を配合する。いわゆる“ベスト・ツウ・ベスト”の原則をかたくなまでに守る。数生まれる中には、まれに長距離レースに向く馬がとび出すこともある。単純に考えれば、長距離競争に出せば勝てるかもしれないと思って使ってきてもよさそうだが、決してその馬を出すことはしない。
一方、わが国ではミソもクソも一緒。早い話があっちもこっちもと欲をだしすぎて、結局アブハチとらずになっている。長距離に短距離を配合したりでメチャクチャだ。つまり、短い距離も長丁場のレースも走れるような馬を作ろうとしているのだ。万能タイプの馬づくりといえば聞こえはいいが、血統を重視する外国では考えられない“暴挙”の配合の歴史だ。これで血統にこだわるのは珍なるお国柄と笑われても仕方がない。…
「言えなかった競馬の本」(昭和58年青春出版社、絶版)
著者、元中央競馬騎手、故渡辺正人氏