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2007年12月18日

“夢”の有馬記念

第32回有馬記念が行われたのは12月27日。会社の業務も残すところ明日(月)だけというのもあって、私の心は正月気分でとても浮かれていた。そして、その浮かれた気分を増長させたのが、頭の中ではすでに取ったも同然でいた馬券だった。

JCで3着と善戦、日本馬最先着のダイナアクトレス。久々を余裕の勝利だったサクラスターオー。ダービー馬で調子上向きのメリーナイス。抜けた馬はなかったが、勝つのはこの3頭からと信じて疑わなかった。そして馬券は元手を絞るために1頭を斬ることにした。劇走の牝馬は消し。JCで頑張ったダイナアクトレスはいいとこ2,3着止まり。なら、馬券はサクラスターオー、メリーナイスの単勝で決まり。4倍付くのだから、見てるだけで倍になって返ってくる。

だが、“夢”の有馬記念は、レースが第4コーナーに入るまでだった。


第32回有馬記念(G1)
1987年12月27日(日)中山10R 芝2500m
サラ系4歳上 オープン (混合) 馬齢

1着 7 ジロデュレン  牡5 村本善之 2.33.9(10人気、24.1)
2着 8 ーワジェームス 牡4 安田富男 2.34.0(7人気、12.7)
7着 4 ダイナアクトレス 牝5 岡部幸雄(2人気、4.6)
中止 5 サクラスターオー 牡4 東信二(1人気、4.0)
中止 14 メリーナイス   牡4 根本康広(3人気、4.9)

メリーナイスは、スタートですぐ落馬。
そして、残った望みのサクラスターオーは、4コーナー上がって行った時、あっーー

故障発生。(その後、サクラスターオーはこの故障が原因でこの世を去った。)

第32回有馬記念(yahoo)

私の馬券は夢と消えた。
枠連4−4の配当は、16,300円になった。(まだ枠連だけ)

ゴール付近のところで、的中させたヤツ(20代前半?)がTV局のインタビューを受けていた。
「どうしてこの馬券を買ったんですか?」
「(満面の笑みで)競馬新聞の4枠を見ると“ユメ”と書いてあったから」


“ユメ”の有馬記念は、いろいろ悲しかった。
posted by 新マネー競馬 at 08:41| Comment(0) | 競馬身上書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

自分流バクチ学 1

競馬はバクチ
バクチは仕事
カネの貰えない仕事は普通しませんよね

的中率、回収率は低いよりは高い方がいいですね。
でも、あまり算数はしません。率を計算しても結局100パーセントを割っていたら率がいくらでも意味がなさないからです。

後から100万円馬券を取って一気に回収率UPでもいいでしょう。でも、それがいつになるのか分りません。

競馬はバクチ。皮算用より今日いくら儲けたいのかを考えれば、冷静でいられます。


メイショウサムソンを黙って押さえておけば、デルタブルースが来なくても、枠連なら10.7倍。高配当オッズばかりに目が行って、枠連のおいしい配当も目にはいりません。冷静じゃないと運もないですね。土日、賢く仕事したいです(笑)
posted by 新マネー競馬 at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬身上書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月26日

初めての1万円馬券

競馬覚えたてのころ、枠連を500円3点買いしていた、それも大体が人気サイド。人気だから的中もするが、何レースも買うわけだから損する額は次第に増える。

中山競馬のある日、東京競馬場の場外にいた。
その日は1Rから8Rまで買って1万円近く損。このころの給料手取り10万円からしたら、これは大変なこと。まだサイフには1万5千円あったが、このあとのレースで人気サイドの500円馬券では、今日の負け分は取り返せるのはムリだと思った。
 
このころの窓口はほとんどが口頭で買い目を言って、馬券を買う方式だった。それ以外に自分でお金を入れて、買い目をタッチして馬券を買う機械(銀行のCDみたいなもの)があった。そして、9Rにその機械の列に並んで次が自分っていう時、私は前にいた30才ぐらいのお兄さんが何を買うのか後ろから覗き込んだ。そのお兄さん、枠連1番人気に1万円1点買い。それを見て私は自分の番にまわってきたが、買うのをやめた。それは、1万円ぶち込むほどの自信があるのなら、自分もそれを買ってみようかと考えたからだ。そして新聞をもう一度確かめるために並び直そうと思った。

締切まではまだ10分。私はもともと買おうとしていた、枠連3番人気(4倍)と4番人気(6倍)そして、1番人気のオッズを何度も見直した。1番人気は3.4倍だった。

私は払い戻しを頭で計算した。来れば、3万4千円。
確かにこのレース単勝1、2番人気の枠に印が集まっていた。よし、決めた。1番人気に同じく1万円。

レースはダートの1800メートル。
1番人気がやや出遅れて、2番人気と人気薄の2頭が先行した。ペースはスロー。そして隊形変わらず、この2頭が2番手グループとは3馬身差をつけたまま直線に入った。2番人気が後ろを引き離しにかかり、粘りこむ人気薄が200の標識にかかった時は、1番人気はまだ6馬身後方だった。

もうダメ。これは来ない。止めておけばよかった。私は覚悟した。
だがその時、1番人気が加速しはじめた。ゴールに向かうにつれ、見る見るその差が縮まってくる。想像もしない1番人気の鋭い追い込み。それでも間に合うのかという感じがまだあったが、あと100mというとき人気薄が急にバテた。そうして2番人気が5馬身離して先頭でゴール。そのあと人気薄と追い込んできた1番人気が重なり合ってゴール板を過ぎた。

2着はどっちか分からなかった。
場内テレビのリプレイでもほぼ同時の入線で、ラジオの解説でも「わかりませんねー」を連呼していた。2、3着は長い写真判定になった。

しばらくして2着に1番人気の馬番が表示された。
当たった。脚が震えた。あのお兄さんもどこかでこの写真判定を待っていたのだろうと思いながら、確定の赤ランプがつくのを待っていた。

払い戻しを受けた時、気がついたら脚の震えが止まっていた。
初めての1万円勝負。当たってよかったと思った。負けたらどうだったろう、給料日までの生活費のことを考えたら、また少し脚が震えた。
posted by 新マネー競馬 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬身上書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

タイムスリップ米沢

山形で雪と聞くと15年前のことを思い出す。

私は米沢市の営業所に転勤になり、その年山形の冬は初めてだった。あいにく山形県は中央競馬の場外が無かったので、馬券購入は福島競馬場まで行かないとだめだった。会社の寮からは電車、バスを乗り継いで2時間弱で行くことができたので、感覚としては都心から中山競馬場に行くようなものだったから気楽に行っていた。

1月下旬の日曜日。その日、馬券で負けて、サイフには電車代と米沢から寮までのタクシー代だけ残した。急いで福島駅に向かえばちょうどの帰りの電車に間に合ったが、負けたこともあって急ぐ気力もなく、そのあと(さらに1時間後)の電車にすることにした。そして、この1時間のせいでとんでもない目にあうことになってしまった。

なんと米沢駅に到着したら、猛吹雪。
タクシーと思いきや既に積雪60センチ、1台も待機していない。いやこれでは走れる状態でないのだ。こまった。

少し迷ったが、このままではしょうがないので意を決して歩くことにした。会社の寮までは4km、たったひとりの雪中行軍だ。60センチの高さはちょうど膝上ぐらいで辛うじて歩ける高さだった。

歩いている中、益々風が強くなって行った。途中、頭の中を遭難するのではないかと過ぎった。雪の高さもだんだんと高くなり1歩進むのが大変だった。歩き初めが、歩ける高さだったのが曲者だったなと思った。もし、歩ける高さじゃなかったら、あのまま駅に留まっただろう。

行程の3分の1も来てしまって引き返すのも大変だ。こんなので遭難したら、新聞の見出し「競馬帰りの男性死亡、吹雪で遭難」だなと思いながら(持っているカバンに赤ペン記入のスポーツ新聞とハズレ馬券が入っている)、必死で前に進んだ。私以外、誰一人歩いていない、車1台走っていない、真っ白の闇の中、だだひたすら脚を前に出した。

そしてどうにかこうにか、やっとのこと寮にたどり着くことができた。着いた時には積雪75センチはなっていたかと思う。普通だったら1時間のところを倍の2時間かかった。体は汗と、体温で溶けた雪とでビショビショだった。歩くか迷っていて、へたに歩き出すのがあと30分遅かったらどうなっていたことか、今思うと本当に怖かった。冗談抜きで、そのへんに脚をとられて倒れていて、だれもこなかったら死んでいたかもしれない。(このころは携帯電話も無い)

その後、私の馬券購入は春まで封印されたが、4月に東京勤務が命じられた。中山競馬場に行った時、東京はいいなと思った。
posted by 新マネー競馬 at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬身上書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月23日

競馬予想師S氏

後楽園で競馬予想師をしていたS氏と知り合いになったのは、忘れもしない第2回ジャパンカップの前日だった。

その年、競馬を覚えたばかりの私は土、日は後楽園場外(WINS後楽園)に行き、いつもS氏の「メインはこれだよ」の大きな声に釣られ、彼の予想屋台をのぞいていた。S氏はメインRが的中すると客から貰ったたくさんのご祝儀を後ろのボードに貼り、逆にハズレた時はさっさといなくなった。

第2回ジャパンカップの前日も、いつものようにS氏の予想屋台をのぞいてみると、私以外の客は誰もいなくて初めてゆっくり話をすることが出来た。いろいろ競馬の話をしていく中で、S氏は昔、某競馬専門紙に勤めていて、そこで予想をつけていたことを話してくれた。

予想専門紙は1〜12レースを10数人で担当分けして予想をつけ、だれかしら当たるように穴予想もいれる。的中するとそれを次週の見出しに使いより目立たせ、購買意欲をあおる。自分の予想欄でも他人がつけているレースがある。早く発行した方がより多く売れるので、間に合わせに適当にしるしを打つこともある。そして最後に、本当に当たるなら売らないよ(笑)、などといろんなことを教えてくれた。

ジャパンカップの当日もS氏のところへ。前年の第1回ジャパンC枠連1−8(2,890円)を的中させていたS氏は、「はーい、ジャパンカップ今年もバッチリだよ」と馬券を買いに向かう人たちに、大きな声をかけていた。
そして常連さんが予想を買っていく中、私も100円を出したら、「おにいちゃんはいいよ(お金)、ジャパンカップはこの枠とこの枠ね」「ジョンヘンリー(1人気)は要らないから」と早口で言うと、すでに他の客の相手をしていた。

私はその日、馬券はジャパンカップのひとレースだけに決めて、S氏が教えてくれた枠連を2,000円(1点)だけ買うことにした。レースは断然1番人気ジョンヘンリーが直線で失速し、S氏の言う通りの枠で決まった。枠連2−6の配当は870円だった。

その後まもなく、私は東京競馬場近くに引越したので、普段は後楽園には行かなくなったが、ある日、久しぶりに後楽園に行ってみたら、S氏は予想ではなく出来たばかりの東京ドームわきでデーゲームを見に来る客に弁当を売っていた。

私はお客さんの邪魔にならないよう、少し離れたところから声をかけてみた。「あのー、予想の方は?」「おおー、予想辞めたんだよ。こっちの方が儲かるからー」彼は笑っていた。




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2006年09月21日

オールカマーでボーナス計画

「銀行に行って現金受取ってきてくれ」と経理部長に言われて出かけてみたものの、はたして自分の持っているカバンに3千万円は入るんだろうか? なにも考えないで出かけてしまったので、そう思った時は銀行の入り口まで来てしまっていた。

銀行の窓口に申し出ると、会社からはすでに連絡が付いていて、すんなりと3千万円が渡された。心配したカバンはパンパンに膨らんだが、なんとか収まった。

新宿のど真ん中を現金3千万円を持って歩く。おそらく一生にこれ一回限りだろう。歩きながら思った「これもって逃げたらw」。冗談だが、逃げたらどのぐらい逃げられるだろうか…一瞬バカなことを考えたが、真顔に戻ってカバンを胸に抱えた。

業績低調でその年は夏のボーナスがなかったが、なんとかして慰労に金一封だけでも出してやりたいという役員が銀行に頭を下げて融資してもらったのが、取りに行った3千万円だったのだ。

これを約1000人の従業員に配るのだから、必然的に一人当たりの金額は ん 万円である。これではボーナス払いのある人にはなんの救いにもならないが、無いよりはマシと思うしかなかった。(金一封はオールカマーの一週前に手渡しで支給されたw)

・・・・・

翌週、電算室で。

私「室長はいいね。家賃(地元の人)もないし、帰省費用もないし、3万まるまる使えるねw」

室長「だと思うでしょ、でもね、東京に家があると、それはそれでいろいろあるんだよー。これでは固定資産税払えないよーw」

私「ああ、そうか固定資産ねー。おれ関係ないからなー、3万じゃダメかー」

室長「こうなったらオールカマーだよ。ないと思って、この3万、全〜部、ツインターボの単勝!w」

私「おっ、それイイねー。単勝に全部。どうせないと思ったらw…」

・・・・・

レース当日

室長:ツインターボの単勝に3万円。

私:単勝やめて、7万円追加(持ち出し)して、枠連6−7 に10万円。

運命の結果は…
第39回産經賞オールカマー(G3)
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2006年05月25日

馬券の原点

    2006

競馬の祭典、そして競馬の原点でもあるダービーが、今年もあと3日で行われる。競馬新聞の見方も、馬券の種類もろくに知らない私が、初めて買った馬券が日本ダービー。だからそういう意味では、ダービーは私にとって馬券の原点にもなっている。

初めてのダービーは、先頭がゴールした時、何が優勝したのか瞬時に分からなかった。なにせダービーの前々日に初めて競馬新聞を見て、馬名もよく頭に入っていないのだから、実況も何を言っているのかチンプンカンプン。アナウンサーの発する馬名を一頭ずつとらえては、競馬新聞に目をやってもレースはどんどん進む。その繰り返しだから、ゴールした時は何がなんだか分からなかったのは当然。写真判定でもないのに「勝ったのは何ですか」なんて、隣りに居たおじさんに聞いちゃったりして(笑)。

そして馬券の種類が解らないから、前走の人気と着順のまあまあ良かった馬の単勝だけを6頭買ったら、その中に優勝馬がいて、配当が1840円・・・これをきっかけにそれまで趣味だったパチンコと決別して、以後、競馬に没頭するはめに。

ああ、あの時、馬券がハズレていたら、もっと違った人生があったかもしれないなぁ、マジで (笑)
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posted by 新マネー競馬 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬身上書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月08日

福島競馬の怪現象

あさっての日曜日、福島競馬場に行きます。7月の福島競馬場は17年ぶり。
梅雨どきの福島は雨不良馬場でなおさら荒れる。馬券がさらに難しい。それといやな思い出があってなかなか行く気になれなかった。

17年前の昭和63年7月15日(金)
私は仕事で東京から福島県会津若松市に向かった。だが、到着する前から仕事のことなんてどうでもよかった。なぜなら、あさっての福島競馬で、この日出たボーナスを増やすことで頭がいっぱいだったからだ。磐越西線から見える磐梯山、この日はあの大噴火から100年目の日。電車から感慨深げに山を眺めながら、競馬に思いを馳せていた。仕事は求人で高校のあいさつ回り、なんの苦労も無い仕事だ。この学校回りは、ボーナスの出る日と福島競馬にあわせた私の目論見だった。

7月16日(土)
福島市入り。この日も市内の高校を回ってあいさつ回り。先生から名刺をもらっただけで、顔なんて校門出たら忘れていた。別に回ったことにして、福島競馬場に行ってもよかったが、何かあるとマズイと思い、競馬に行くのは止めにした。結局、形だけの仕事をして、夕方に銀行に寄ってボーナスの中から40万円を下ろし、夜はどこにも出かけないで、宿で競馬予想した。

7月17日(日)
天候曇り、福島競馬場は前日の雨もあって不良馬場(馬場改修前はとにかくひどい馬場だった)。
このころの私は、まだ何も考えずに1Rから勝負だった。持ってきた40万円を倍にして帰ろう、トータル2倍にすればOK。どこかで当たればプラマイ0(ゼロ)で帰れると安易に考えていた。

今から思うとほんと甘い考えだった。そんなこともあってかどうか、1Rからぜんぜん当たらなかった。一レースに2万から4万円。増えるはずのボーナスは見る見る減って行った。
本命狙いで枠連1点ないし2点勝負。荒れる福島のはずが、どのレースも1番人気が好走。配当も百円台。本命狙いだったが、なぜか自分の買い目を避けて決まっていった。

最終レースに来た時、軍資金は8万円まで減っていた。
12Rは1番人気セブンアイリスで軸は堅そうだった。ここまで来たら全滅したも同じ。少しだけでも挽回できればしめたものと、2番人気馬と3番人気馬の枠へ、枠連2万円ずつ買うことにした。

レースはセブンアイリスが1着に、3番人気のミスカルメンが2着に粘ったおかげで馬券の全滅だけは免れた。
1988年2回福島2日目12R

あんなに意気込んで来たのにこのザマ。帰りは減った分の20万をあれやこれやに遣えばよかったなーと考えたりして落ち込んだ。
泥んこ馬場で大外をヨレヨレで走ってくる馬。真っ黒になって帰ってくる騎手。バシャバシャというだけで響かない蹄の音。こんなレースを12も見たら、何もかも嫌になってしまった。

「福島競馬にはもうこねーよ」

この日、1番人気馬は8−2−2−0と着外なしの怪現象。
1R 1着
2R 1着
3R 1着
4R 3着
5R 1着
6R 1着
7R 1着
8R 2着
9R 1着
10R 3着
11R 2着
12R 1着
不良馬場、荒れる福島が、12R中9Rで3ケタ配当、最高配当は1番人気が3着に敗れた10Rの2,150円だった。


17年前、二度と来るか思った7月の福島競馬場。
あの時の古いスタンドも、たんぼのようなひどい馬場も今は見ることができませんが、雨だけは降らないのを祈りたいです。

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2005年05月16日

JRA、緑の封筒

地方で3連単、1300万円の配当が出ましたね。ただし的中は1票だけでしたから配当の額でみたら、その1票を買っていた人が何票買っていたとしても、もらえる現金の総額はほぼ1300万円だったわけで、先月出た福島競馬の1000万円配当とは意味合いが違います。福島競馬の1000万円は的中9票で、もしそれが的中1票でしたら配当額は億なのですから。
こうして万馬券の額でマスコミは大きく話題にしますが、配当に踊らされていてはダメです。万馬券はもちろん的中させてみたいですが、万馬券だけを的中することを目標にしていたら痛い目にあいます。私みたいにワイド、枠連、複勝が中心の人は、欲が出た時点でもうアウトです。

そういえば昨日、1300万馬券のことをテレビでやってましたが、その中で払い戻しのお金はどうやって持って帰るのでしょう?と言っていました。私もいろいろと話には聞きましたが、ちゃんと現金で持って帰れるようです。現金の確認を部屋に入ってやり、紙袋に詰めてくれます。帰るときは、頼むとタクシーも呼んでくれるようです。(体験していませんが。聞いた話では)
数百万円なら、大口払い戻しの窓口で、受け取ります。現金はJRAのマークの入った緑の封筒に入れてくれます。こちらはいちおう経験済みです。どんな封筒かは他のブログで写真載せている方がいますのでどこかで見れるでしょう。高額配当ゲットすれば一番よく分かります(笑)。

==
緑の封筒にまつわる話です(半分自慢話です、ペコリ)。中山競馬メインレースで当たった(2百数倍を2万円)馬券を最終レースの払い戻しの列が疎らになったときに、高額窓口に持っていきました。ベルを鳴らすと、男性職員(50歳ぐらい)が来ました。私が「これ、高額配当なのでお願いします」と言うと、馬券を裏返して見て、フンというあきらかに面白くない態度。そうして「ちょっと、これ」とカリカリした様子でおばさん職員(パート?)を呼びました。男性職員も結局のところ他人のお金のことだから面白くなく、興味がないのも分からないわけではありませんが、でも、あの横柄な態度は何なんでしょう。馬券の売上で給料貰っている人の態度とは思えません。一方、おばさん職員は丁寧に応対してくれました。確認(馬券を)しますからと言って番号札をくれ、数分後、これ(馬連)が当たっていましたのでと、丁寧に現金を数え直し、お金を緑の封筒へ入れてくれました。

(男性JRA職員は、払い戻しのときニコニコするべし)

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2005年03月15日

競馬身上書 NO4(1万円勝負の資金繰り(20代))

若いころ、給料日の2,3日前になるとほんと金がなかった。競馬が我慢できず、1レースに200円,300円の多点賭けで外していたのだから、あたり前といえばそうである。あとあと給料がたくさん貰えるようになってからはあまり食いぶちに困らなくなったが、それでも1万円1点勝負では負けたときは食うに大変だった。

昼は立ち食いで、夜は自炊と言っても給料日まで間に合うわけがない。金が無い時は、よく食べたのが焼きそば。給料日まで間に合うようだったら、野菜とソーセージを加えて、1週間は大盛り焼きそばで満足の日々を過ごせた。

米が残ってるなら、缶詰。スーパーや業務センターだと1缶100円以下。私のいた東京、府中では、近くの酒屋さんが2缶100円だったのでたいへんお世話になった。缶詰は調理が必要ないのでガス代の節約にもピッタリ。これに、納豆、梅干があった時は完璧。

たとえ競馬をしていなくても家賃支払いのある若いサラリーマンにとっては生活は楽ではなかった(それは今世でも変らないが)。NHKは払わなかったし新聞も取らなかった。新聞は朝の通勤で京王線で新宿に着い時、みんなが降りる最後の方になってから網棚に残ったスポーツ新聞を拝借していた。日経は会社にあるので必要なし。営業に出たら、上手く定期券を使って会社から交通費をGET。

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2005年03月10日

岡部騎手と馬券(その2)

岡部騎手が引退することになった。岡部騎手には馬券で大変お世話になった。たくさん儲けさせてもらったし、痛い目にもあわされた。そんな馬券の思い出を少々。

(その1)のあとは、大勝負することもなく、馬券の方は普通に1万円勝負でコツコツと負けた。平成4年冬のボーナスは僅か3万円になり(この3万円の1点勝負の話は後日)、平成5年11月にはバブル崩壊の影響もあって会社が倒産した。生活の方は失業保険1ヶ月約19万円が9ヶ月。国の給与保証が60万円、生命保険から財形の80万円の振込みがあったので、しばらく仕事を探すのには支障がなかった。お金があったので(いつまでもあるわけではないが、)仕事探しはのんびりだった。(結局仕事は失業保険のなくなる8月まで決まらなかったが。)一応資金確保のためコンビニ(横浜)で夜アルバイトをした。

失業して2ヶ月目、新年の1月。今あるこの資金を少しでも多く確保したいがため、馬券でいっちょう増やしてやろう思った。久々に10万円1発勝負。やってやろう。夜コンビニのバイト中、店から日刊ゲンダイを買って客の途切れる合間で予想した。翌日、朝9時まで仕事をして、少し休んでWINS横浜に向かった。

狙うレースは中山の初富士ステークス、芝1600(ハンデ戦)。今ではハンデ戦で勝負など考えないが、この時はこんなカンタンなレースはないと思い、当たった後どうするか、そればかり考えていた。

3枠3番、逃げるコウチカムイオー(5人気)がハンデ50kgで展開有利。それを2、3番手で追う2枠2番、ホッカイセレス (3人気)。人気は別として、日刊ゲンダイではこの2頭に本命、対抗の印が付いていた。レース展開をこの2頭の行った行ったと見て、この枠連に10万円1点勝負にすることにした。

枠連2−3、10万円。オッズは約12倍。

1人気は7枠12番、岡部騎手のホッカイキルディア。ハンデ54kgで、展開は2頭の後ろ。ホッカイセレスの方が調子よかったし、ハンデ4kg差ならコウチカムイオーは逃げ残れる。ホッカイキルディアは日刊ゲンダイでもあまり印がついていなかった。よし、いける。これならいける。私は、外れた時の不安を打ち消すように自分に言い聞かせた。いける。これでいける。

レースがスタートした。コウチタロウ(14人気)がコウチカムイオーにやや競ったが、直線ではホッカイセレスとコウチカムイオーが3番手以降に3馬身離して、坂を登り始めた。
来た。私は取れたような気がした。

坂を登りきってホッカイセレスがコウチカムイオーを突き放す。差は1馬身、2馬身と広がってホッカイセレスの勝ちは決まった。逆にコウチカムイオーの脚色は見る見る衰える。その時オレンジ色の1頭が急激に差を縮めてゴールになだれ込んだ。

なにが起こったのかよくわからなかった、ただただ呆然とした。隣の作業員ふうのおやじが「換わったな」と一言発した。来たのはホッカイキルディアだった。一応写真判定になったが、2着には12番ホッカイキルディアとスンナリと上がった。

なぜ、なぜ。馬券は無情にも外れた。1人気の岡部騎手で14倍。こっちの方が付いた。外れてからではどうしようもないが、レース前は2−3、2−7に5万円づつに分けようかと思ったりもした…。分けていたら70万円は取れた。でも2−3、一点でいけると思った。70万円よりも120万円を狙った。今となっては遅いが、あの時、岡部騎手を狙えなかったのには悔やむばかり。VTRを見ると、ペース判断が抜群、この一言につきる。

1994年1月22日(土)初富士ステークス
ホッカイキルディアが岡部騎手でなかったら、きっとレースは2−3で決まっていたに違いない。
今でもこの時のハズレ馬券は大事に取ってある。予想をきっちり検証するためのお守りだ。
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岡部騎手と馬券(その1)

岡部騎手が引退することになった。岡部騎手には馬券で大変お世話になった。たくさん儲けさせてもらったし、痛い目にもあわされた。そんな馬券の思い出を少々。

平成4年、夏のボーナスを元手に新潟競馬。先週、運良く90万円儲けた私は、翌週も30万円を持ってWINS後楽園へ。
なにせ、元々競馬で取った金なので、損したってOKな感覚で気が大きく10万円1点勝負を決め込んでいた。勝負の狙いは9Rの三面川特別。前年も岡部騎手で獲っているゲンのいいレースだ。

予想は逃げるミュゲルージュ(中舘)、そして1番人気のアジル(岡部騎手)。この2頭の枠連3−5に人生初の10万円1点勝負。
レースはミュゲルージュが軽快に逃げ、レガシーワールド(未勝利を勝ち上がったばかりで、後にジャパンカップ制覇)が2番手でそのまま直線。アジルが徐々に追い込むも、あと100になってもレガシーとの差は2馬身、もうダメと思った瞬間、アジルが二の足を使ってレガシーと並んでゴール。負けたと思ったので写真判定が長く感じた。

1992年7月25日(土)三面川特別
馬連にしておけばもっと儲かったのに、アホですね。このころは岡部騎手から買っていれば大丈夫と思っていたころ。一方、現在では考えてもみないアンチ武豊だった。
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2005年02月08日

競馬身上書 NO3(競馬場付きアパートに引越し)

昭和58年11月、住んでいたアパートが取壊しになるため(築30年のボロだった)、中野区から引っ越すことになった。大家からは半年前に告げられていて、その為期限の11月に合わせ9月から引越し先を探した。それまでは、引越先はどこがいいかなどあまり考えていなかったし、住宅情報を買って調べるということもしていなかった。

ところが、引越し先はひょんなことですんなり決まった。その日は10月の第二土曜日、まだ決まっていなかったアパート探しをしないといけないなと思いながらも、いつものように東京競馬場へ。
京王線府中駅を降りた時、不動産屋が目に付いた。まだ11時だったので、ちょっと見てみようと思った。そして、ドアを開けようとした時ふと思い立った。「どうせ競馬場に通うのなら、府中でいいじゃん」。
不動産屋に条件を言ったら、それに合うところが2件。その2件が道を挟んでお向かい同士だというので、早速見に行った。すると、この2件とも希望通りの部屋で、すぐに家賃の安い(千円だけ)方に決めてしまった。アパートの場所は東府中駅から徒歩5分、そして東京競馬場東門までは徒歩8分!。不動産屋に戻って仮申込みを終えた時は、まだ午後1時だった。こうして私の引越し先は、思いもよらない展開であっさりと決まってしまった。

11月3日文化の日、会社のみんなに手伝ってもらい引越した。前より家賃が1万5千円上がったが、その分、競馬場に通う交通費と移動の時間は節約された。そして競馬場に近くなったのにもかかわらず、逆に競馬に対して入れ込まなくなった。休日午前中は競馬以外に時間を使うようになったし、すぐに行けると思うと家を出るのはいつも8Rが終わったころになった。(これが、馬券購入は9R以降のもとに)
府中市に引越したこの年、ミスターシービーが3冠を達成し、シンボリルドルフがデビューする。30歳直前まで住んだ府中市の5年間、おかげで私の競馬人生でいちばんいい時をこの地で過ごすことができた。
posted by 新マネー競馬 at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 競馬身上書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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